10BASE-T1 登場の背景
汎用 Ethernet はオフィス、産業分野や通信キャリアで広く使われている業界標準の通信規格だ。パソコンやプリンタなどの機器にも標準実装されている。技術的にも完成し最も低価格な通信方式の一つだ。この技術資産を活用し新たに作られたのが 10BASE-T1/100BASE-T1/1000BASE-T1 等の一連の「車載ネットワーク」規格だ。10BASE-T1 登場の背景と狙いを説明したい。
10BASE-T1 は、IEEE802.3cg として規格化された 1対の撚対線で 10M ビット/秒の通信速度を持つ通信方式だ。汎用 Ethernet が既に 400Gbps の通信速度を達成していることを考えると、極めて低速な通信技術だ。最も初期の Ethernet と同じ通信速度でしかない。
「図1 車載ネットワーク物理層技術」は汎用 Ethernet と車載 Ethernet の伝送速度と規格化時期をプロットしたものだ。100BASE-T1/ 1000BASE-T1 登場後に最も低速な車載 Ethernet として 10BASE-T1 は登場した。
10BASE-T1 には互換性のない 2 つの規格がある。長距離伝送用の 10BASE-T1L と短距離用の 10BASE-T1S だ。
- 10BASE-T1L : Point to Point 伝送距離 1000m 、全2重通信
- 10BASE-T1S : Point to Point 伝送距離 15m 、半2重通信
- オプション:全2重通信
- オプション:半2重通信、マルチドロップ(バス接続、最大 8 ノード)1980 年代の CSMA/CD 共有バス型に回帰
- 1対の撚対線で 25m の伝送距離(オリジナル 10BASE5 の1/100 の伝送距離)。スタブ長は 10cm
- オプション:PLCA(Physical Layer Collision Avoidance) は送信機会をラウンドロビン方式で割り当てることでリアルタイム性を狙った。PLCA を実装しない場合は、従来の CSMA/CD で動作
- リピータは想定していない(オリジナルの 10BASE5 は 4台のリピータ接続を想定)
10BASE-T1L の符号変換は 4B3T/PAM3 方式で、10BASE-T1S の符号変換は 4B5B/DME/PAM2 方式だ。この2つは名前は似ているが互換性がない。
10BASE-T1 の一番のターゲットは車載ネットワークだが、工場や物流現場などの「フィールドバス」領域も狙いの一つだ。現状では、情報ネットワークは汎用 Ethernet 、制御ネットワークのデバイスレベルまでは産業用 Ethernet が既に普及している。センサレベルはフィールドバスの領域だ。10BASE-T1L の狙いはこの領域だ(「図2 ネットワーク階層構造」参照)。
10BASE-T1S の狙いは車載ネットワークを全て置き替えることだ。全てのデバイス(ノード等)は、スイッチに直結し Ethernet ⇔ CAN/LIN 等のゲートウェイを無くすことだ。「図3 Ethernet による車載ネットワーク」の様に、マルチドロップで幾つかのノードはスイッチにバス接続し、ECU 等は 1 対 1 接続でスイッチに直結する。全てのノードや ECU は IP プロトコルの配下で動作し、車外のクラウド等とシームレスにつながる。10BASE-T1S と CAN/LIN との比較は「表1 10BASE-T1S/CAN/LIN 比較表」を参照いただきたい。

汎用 Ethernet と車載 Ethernet は「図4 汎用/車載 Ethernet 位置づけ」のような関係にある。10BASE-T1S の狙いは低コストと EMC(EMI + EMS)強化だ。
10BASE-T1S
10BASE-T1S は 1対の撚対線を介して 10Mbps 双方向通信ができる物理層規格だ。1対1接続では、ケーブル長は少なくとも15mで 4個の中継コネクタ(インラインコネクタ)を介してノード間を接続することができる(「図5 10BASE-T1S 1対1 リンクセグメント」)。定格インピーダンスは 100Ωで、汎用 Ethernet の 2倍だ。10BASE-T1 は、IEEE802.3cg として 2019年標準化された。ワイヤーハーネスを削減するため、IEEE802.3bu で規定される PoDL ( Power over Data Lines)と呼ばれる信号線給電にも対応している。1対(2本)の信号線で、双方向通信と給電を行うことで、ワイヤーハーネスの軽量化と省スペース化を実現している。

もう一つの接続形態として、マルチドロップと呼ばれる 1 対多接続がある。「図6 10BASE-T1S マルチドロップリンクセグメント」のリンクセグメントは 25m 、スタブ長は 10cm、最大 8台のノードをバス接続できる。バス構成のため半2重通信になり、送信権はPLCA(Physical-Layer Collision Avoidance:物理層衝突回避)と呼ぶラウンドロビン調停方式が採用されている。PLCA が実装されない場合は、従来の CAMA/CD 方式で衝突検出を行うこともできる。10BASE-T1S のマルチドロップの狙いは CAN/LIN の置き換えだ。

符号化は汎用 Ethernet の 10BASE-T とは異なり互換性がない。10BASE-T1S の符号化は、4B/5B (4bit to 5bit)変換 / DME / PAM2 変換だ。スクランブル処理は無い。 4B5B 変換は「1」と「0」の数がほぼ同程度になり、「1」と「0」のバランスを取るディスパリティの必要はない。DME( Differential Manchester Encoding:差動マンチェスタ符号)は、サイクル内に必ず信号反転があり、埋込クロックの位相同期に都合がいい。
10BASE-T1S は、 MII から 2.5MHz クロックで 4 ビット(ニブル)データを受け取る。4B5B 変換後 12.5MHz のデータレートで 10Mbps の伝送速度を実現している。4B5B/DME/PAM2 符号変換については、後ほど解説する。
10BASE-T1S の物理層は、PLCA/PCS/PMA/PMD の4つの副層を規定している。各階層と符号化は「図7 10BASE-T1S PHY と他規格との対応」の様に対応している。規格上、第2層とのインタフェースは MII のみが規定されているが、市販されている物理層デバイスでは様々な xMII をサポートしている。
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